◎七乗冪演式[1](中根元圭)

 

○中根元圭跋

 

七乘羃演式跋

-家者-流所著之書古-今幾 何帙乎唯孝和-微算-法可謂得其樞-要者也矣爾 後清行著明-元算-法斷筆於五-乘焉同--氏吉治以弌-極笇-法著六-乘演-式余亦欲添-加一-層今 茲正-月己-亥始布策二-月己-巳終功至其校-正讓門-人林 氏正延浹-辰告校-正既 畢仍命工鏤梓惟 夫解數 繁乘 高者不可謂之上-工唯可謂之壯-氣累日積年雖千--乘豈不可得乎數-家唯崇務本本 立而諸-術生焉元禄四年二月二十八日甲申中根璋元圭書(印「中根璋氏」)(印「元圭之印」)

(刊記)書林京極五條橋砌 梅村彌與門(印)

 

【訓読】

七乗羃演式跋

数家(すうか)者流(しゃりゅう=仲間、たぐい)、著すところの書、古今幾何(いくばく、いく)帙(ちつ)ぞや。唯(ただ)孝和が発微算法のみ、謂うべし、其の枢要を得るものなりと。爾後(そののち)清行(=宮城清行)明元算法を著して筆を五乗に断つ。同遊(どうゆう=一緒に遊んだ)氏、吉治(=安藤吉治)一極算法を以てして六乗の演式を著す。余も亦(また)一層を添加(てんか)せんと欲し、今茲(ことし)正月己亥、始(はじめ)て策を布(し)く、二月己巳[2]、功(こう、つとめ)を終(しま)う。其の校正に至りては、門人、林氏正延[3]に譲る。浹辰(しょうしん=子から亥までの十二支のひとめぐり、十二日間)にして校正、既に畢(おわり、おわん)ぬと告ぐ。仍(より)て工(たくみ)に命じて梓(し、あずさ)に鏤(ちりば)めしむ。惟(おも)うに夫(そ)れ、数、繁(しげ)く、乗、高きを解するは、之(これ)を上工(じょうこう=すぐれた職人)と謂(い)うべからず。唯(ただ)、之(これ)を壮気(そうき=元気)と謂うべし。日を累(かさ)ね、年を積めば、千萬乗と雖(いえど)も豈(あに)得(う)べからざらんや。数家は唯、本(ほん、もと=本質)を務(もとむ)ることを崇(たっと)ぶ。本(もと=本質、根本)立ちて、諸術、生ず[4]。元禄四年(1691)二月二十八日甲申、中根璋元圭、書す。(印「中根璋氏」)(印「元圭之印」)

 

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[1] 小寺裕氏の依頼により翻刻訓読。この跋にふくまれる異体字はすべて、中根元圭の『異体字弁』元禄5年(1692)で判読できる。竪点(中央線と左傍線)、返り点、送り仮名つき。

[2] 己巳の日は、己亥の日から三十日後にあたる。この跋の年記「元禄四年二月二十八日甲申」から計算すると、己亥は1月13日、己巳は2月13日。

[3] 林正延は、中根元圭の門人。『授時暦図解発揮』の編者として名が残る。

[4] 『論語』学而「本立而道生(もと立ちて道、生ず)」。物事の根本が立ち定まれば、道は自然に生じる。「生」は異体字「山の下に土」を使用している。異体字弁の帰正門(異体字から本字を探す篇)六画起直では「地」だが、好異門(本字から異体字を探す篇)では「生」。