◎塵劫記

 

◎玄光寛永四年序[1]

【原文】

塵劫記序

山城州葛野郡嵯峨村人事吉田光由頃者介或人、扣柴扉、眉毛厮結、於是乎、自袖裏携十八巻書来被需書名與序跋、披之観之、實筭法霊樞也、問云、是誰所作也、光由答云、我自少時癖筭法、而諸家筭法繁者芟之、畧者詳之、集而大成、是我所述也、此外雖所製筭書数巻有之、巻而懐之、可謂勤矣、於筭算者、不識六與七、為什麼塞其責、横點頭者再三雖然、不曽饒、終弗獲黙止、付與毛先生、毛先生突出曰、夫筭者、自天地定位萬物流形以來、其数及萬有一千五百二十零數其外更有刻限數人息數、不暇縷数、加之、伏羲始畫八卦周公叙述九章、陽数為奇陰数為偶老陽二十五老陰二十五脗合五十數為大衍數既又起律呂七均法、宮數者法八十一、商數者法七十二、角數法六十四、徴數者法五十四、羽數者法四十八、変宮數者法四十二、変徴數者法五十六挙筭極數言之則有、一十百千萬億兆京垓秭壌溝澗、正載、極萬匕極曰恒河沙萬匕恒河沙曰阿僧祇萬匕阿僧祇曰那由他萬匕那由他曰不可思議萬匕不可思議、曰無量大数也、擧小數言之則、有、埃塵纖微忽絲毫釐分文两斤、擧粮數言之則、有、粟、圭、撮、勺、合、舛、斗、斛、擧田數言之則、有、忽、絲、毫、釐、分、歩、畆、反、町然矧筭法者濫觴於黄帝時隷首作筭數、而寖備六藝之一、故名筭藝者無不庸、以故、光由作為此書自此觀其書知其人、名垂無窮、擧一明三、為後人亀鑑、是以掌内識乾坤者必矣、且為題其首、目之曰塵劫記蓋本塵劫來事絲毫不隔之句、莫謗好、維時寛永四年丁夘、秋八月日、亀毛舜岳贋衲玄光為之序

【訓読】

塵劫記序

山城州葛野郡嵯峨村の人事、吉田光由、頃者(このごろ)、或人を介して予が柴扉を扣いて、眉毛厮(あい)結ぶ。ここにおいて袖裏より十八巻の書を携(たずさ)え来たりて書の名と序跋とを需(もと)めらる。予、これを披(ひら)いてこれを観(み)れば、実に算法の霊枢なり。予、問て云わく、これ誰が所作なりや。光由、答えて云わく、我少(わか)き時より算法に癖(へき)あって、諸家の算法、繁(しげき)ものはこれを芟(か=刈)り、畧せるものはこれを詳(つまびら)かにして、集めて大成す。これ我が述すところなり。この外、製するところの算書数巻、これありといえども、巻いてこれを懐にす。謂いつべし、勤めたりと。予、算においては、六と七とを識らず。什麼(なんと)してか、その責(せめ)を塞(ふさ)がん。横點頭(おうてんとう=首を横に振って拒絶)するもの再三、しかりと雖も、曽(かつて)饒(ゆる=許)さず、終(つい)に黙(もく)して止まることを獲(え)ず(=黙っておれなくなって)、毛(もう)先生(せんじょう)[2]に付與(ふよ)す。毛先生、突出して曰く、それ算は、天地、位を定めて、万物、形を流(しい=敷)て以来(このかた)、その数、万有一千五百二十零数に及ぶ。その外さらに刻限の数、人息の数あり、縷数(ろすう)するに暇(いとま)あらず。加之(しかのみならず)伏羲、始めて八卦を画し、周公、九章を叙述して、陽数を奇となし、陰数を偶となし、老陽二十五、老陰二十五、五十数を脗合(ひんごう、ふんごう)して、大衍の数とす。既にまた、律呂七均の法を起(た)てて、宮数は八十一に法(のっと)り、商数(じょうすう)は七十二に法り、角数は六十四に法り、徴(ち)数は五十四に法り、羽数は四十八に法り、変宮の数は四十二に法り、変徴の数は五十六に法り、算極の数を挙げて、これを言うときんば、一十百千万億兆京垓秭壌溝澗正載極あり。万匕(ひ)の極を恒河沙と曰い、万匕の恒河沙を阿僧祇と曰い、万匕の阿僧祇を那由他と曰い、万匕の那由他を不可思議と曰い、万匕の不可思議を無量大数と曰うなり。小数を挙げてこれを言うときんば、埃塵纖微忽絲毫釐分文两斤あり。粮數を挙げてこれを言うときんば、粟圭撮勺合舛斗斛あり。田数を挙げてこれを言うときんば、忽絲毫釐分歩畆反町あり。然(しか)も矧(いわん)や算法は、濫觴(らんしょう)、黄帝の時、隷首、算数を作るより、寖(やや=浸。次第に。ますます)六芸の一(ひとつ)に備われり。故に算芸に名あるもの、庸(もちいら)れざるなし。故(ゆえ)をもって光由、此の書を作為して、これより其の書を観て其の人を知り、名、無窮(ぶきゅう)に垂れて、一明三(いちみょうさん)[3]挙げ、後人(こうじん)の亀鑑とせん。これをもって掌内(しょうない)に乾坤と識(し)るもの、必(ひつ)せり。且(か)つ為(ため)に其の首(くめ)に題して、これを目(なづけ)て塵劫記と曰う。蓋し、塵劫来事、絲毫も隔てずの句に本(もと)づく。予を謗(ほう)つるなくんば好(よ)し。維時(これとき)寛永四年丁夘(ていぼう)秋八月日、亀毛[4]舜岳贋衲、玄光、これがために序(じょ)す。

 

◎玄光寛永4年跋[5]

【原文】

此新編塵劫記吉田光由開板鏤梓以壽其傳自今以後行于世為筭法指南者如合符節後生勉旃勿輕忽
于時寛永第四暦龍集疆捂単閼仲穐好日辰西嶺舜岳野釋玄光以跋

【訓読】

此の新編塵劫記、吉田光由、板(はん)を開き、梓(し)に鏤(ちりば)めて、もって其の伝(でん)を寿(じゅ)す[6]。今(いま)より以後(いご)、世に行なわれて、算法の指南をなさん者、符節を合(あ)わするが如し。後生(こうせい)勉旃(つとめ)よや。輕忽(きょうこつ=軽んじる)すること勿(なか)れ。
時に、寛永第四暦(れき)龍集(りょうしゅう=歳次)疆捂(きょうご=疆圉。丁)単閼(たんあつ=卯)、仲穐(=仲秋)好日、辰西嶺舜岳野釋(やしゃく)玄光、以って跋(ばつ)す。

 

◎吉田光由跋[7]

算数(さんすう)の代におけるや誠に得かたくすてかたきは此道(みち)なり 然れ共代々此道おとろへて世に名あるものすくなし しかあるに我まれに或(ある)()につきて汝思(ちし)の書[8]をうけて是を服飾(ふくしよく)とし領袖(りやうしう)として其(その)一二をゑたり 此師(し)にきける所(ところ)のものかきあつめて十八巻(くわん)となしてその一二三を上中下としてわれにおろかなる人の初門(しよもん)としてつたへり しかるを又諸書(ちよしよ)をきざんで世わたる人是をうつしもとめて利()のために世にあきなふといへ共そのくわしきをしらされはあやまり見せたる所おゝし されは我
やまひならんもおもふにくるし 故(かるかゆへ)に此書にしるしを朱(しゆ)と墨(すみ)とにてさたむ しかれとも猶(なを)此書にも失(しつ)ありなん 心さしあらん人人は師()にたつねもとめてたゝしたまへ 愚(ぐ)のつたなきも此外十五巻あり いわんや世に名ある人をや 是(これ)は初門(しよもん)なり なを室(しつ)の門戸(もんこ)に入らすしていかにしらさらんをや
寛永十一年六月日 さか(=嵯峨)吉田七兵衛光由(花押)

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[1] 訓点・数字を除き総かな傍訓・竪点・句点(中黒)。

[2] 『割算書』の著者、毛利重能であろう。

[3] 不詳。

[4] 亀毛は、非常に珍しいもの、決してないもののたとえ。亀毛兔角(きもうとかく)。

[5] 訓点・総傍訓。

[6] 原文の振り仮名は「シウス」。

[7] 一部振り仮名つきの漢字かな交じり文。草体。以下の括弧内は、原文の振り仮名。ここに表記したものは寛永11年版だが、この跋文は寛永8年版以降の諸版にみえる。

[8] 汝思は算法統宗の著者、程大位の字(あざな)。すなわち汝思の書は『算法統宗』のこと。なお程大位の号は、賓渠。